自身の適応障害の経験をもとに、その時の考えや感情を、記憶が曖昧になる前に書き記すことを目的に、「体験記」としてブログに書くことにしました。
過去の体験記はこちらから
【適応障害体験記①】〜症状前〜 https://higurijohn.com/taikenki1
【適応障害体験記②】〜発症〜 https://higurijohn.com/taikenki2/
【適応障害体験記③】〜心療内科に行く決意をするまで〜 https://higurijohn.com/taikenki3/
第7章 心療内科の初診
予約した通りの時間に心療内科に行きました。
中は少し薄暗い感じで、いい香りがします。
落ち着いた雰囲気の中で、私と受付の2人のおばちゃんだけでした。
プライバシーが守られていて安心したことを覚えています。
初診なので、問診票を渡され記入しました。
他の病院と同じような質問が並んでいましたが、「どのような症状でお困りですか」という質問の選択肢の中に「頭が悪くなった気がする」という項目があり、引っかかりました。
「あまり眠れない」とは別の項目として「頭が悪くなった気がする」があったことから、
「もしかして、私の症状はただの睡眠不足ではないのかな?」と考えたからです。
最近の、仕事を全然進められない状況は、シンプルに言えば「頭が悪くなった」ことになる、と思えたので、丸をつけました。
記入を終えて間も無く、番号札で呼ばれて奥の診察室に行きました。
ものすごく緊張していたと思います。
自分の今の状況を大きく変える可能性があると思うと、手の汗が止まらず、心拍数も早くなっていました。
中では、若めの男性の先生がパソコン画面を挟んでこちらに向いて座っていました。
席につくなり軽い挨拶と「話を聞かせて下さい」という旨の声かけをもらいました。
落ち着いた雰囲気、声も穏やかで、少し緊張が緩みました。
先生は、問診票に記載した内容を確認していきます。
「眠れないというのは、寝付くのに時間がかかるという感じでしょうか?」
「・・・はい」
「夜中に起きたりはしますか?」
「寝付けても、30分後ぐらいには目が覚めてしまって、その後またしばらく眠れず、それを繰り返している感じです」
「そうですか。大変ですね。この、頭が悪くなった感じがする、というのは、どんな時にそう感じられましたか?具体的に何かあれば、教えていただけますか?」
「はい・・・秋頃までは簡単に処理できていた、資料作成やデータ分析などの仕事が・・・
最近全然進められないんです・・・
あと、会議などでも上手く言葉が出てこずに、フリーズしてしまったり・・・
以前は普通に話せていたんですが、喋るのが下手になったような感じです。」
「そうなんですね。食欲はありますか?食事は、美味しいですか?味がしないなーというようなことはありません?」
「食欲はあります。味もわかります。」
という感じで質問にいくつか答えたのち、少し考える間をとってから、先生が診断しました。
「適応障害って、ご存知ですか?あなたはただの睡眠不足ではなく、適応障害という状態だと考えられます。」
その後、適応障害とはどういった状態なのかということや、うつ病との違いなどを色々と説明していただいたと思います。
しかし、私の中で「それで、どうすればいいんだ」というような焦りが強く、話半分で聞いてしまっていました。
「適応障害の場合、一番の治療法はストレスの原因と距離を取ることなのですが、お仕事をお休みすることはできそうですか?」と言われた時に、1番に最初に安心したことを覚えています。
「これでやっとあの地獄から抜け出せる」
しかし、その場で「はい。休めます」と即答できる状態ではありません。
やりかけの溜まりに溜まった仕事はどうすればいいのか、頭の中で整理できていません。
「一旦持ち帰って、会社に相談します。」
この日は、そう答えることが精一杯でした。
睡眠導入剤と抗うつ剤を処方していただき、この日は「これで会社を休めそうだ」という安心感と
「休みたいと会社に言ったらどうなるかわからない…」という不安でソワソワしていました。
第8章 会社の反応
翌日、直属の上司に「適応障害と診断された」ことと「休むことが必要ということだった」ことを伝えました。
もうこの時には、「他に手段はない」と思っていましたが、かと言って仕事を休むと会社に大変な影響が出ることもあり、また自分の会社員としてキャリアが少し気になり、「とにかく現状を変えなければいけないんですが、休むか、休まずになんとか改善するか、相談させてください。」という感じで伝えたように思います。
上司は「一旦了解した。上と相談し、会社としてどうするか考えるので、また打ち合わせしよう」とのことでした。
2日後くらいに、上司から打ち合わせが入りました。
返ってきたのは、予想だにしない回答でした。
「君が大変なのはよく分かった。なので、業務内容の調整を行いたいと思う。ただし、知っての通り、業務内容的に私(上司)と君くらいしか担当できる人間がいない。しかも、実は私に異動の内示があったので、私が全部引き取ることもできない。なので、できる限り部や他のメンバーがサポートをする」とのこと。
「なんだそれ?」でした。
結局「特に何もしないけど、頑張れ」と言われているようなものです。
「これじゃまだ地獄は続くということか」
と一瞬心折れかけた時、更に上司が続けました。
「会社としては放ってはおけないということで、人事部からは産業医面談をするように言われているんだが、どうする?おそらく産業医と話をしたら、休めと言われるだろう。産業医は仕事の実情や君の気持ちを理解せずに、休むよう勧めて来て、それには会社としても従わざるを得ないから、休みたく無いなら面談はパスしてもいいんだが…」
「いやいや逆逆!休みたいわ!」
というツッコミを入れたいのが本心でしたが、その場では
「会社に任せます。私は主治医と話をして行けばいいと思っているので・・・」
とだけ答えました。
「休みたい」と正直に言うことに抵抗を感じたためです。
やはりこう言った問題についての人事の意見は強いようで、後日産業医との面談が組まれました。
この時にも、上司から事前に打ち合わせが入り、「面談でネガティブなことを言うと、すぐに病気と認定してくるので、ポジティブに受け応えしよう」「業務の調整をしている最中だから、この調子で行けば休まなくても大丈夫そう、ということは伝えよう」「声や表情も明るくした方が、余計な心配をかけなくて済む」等の“産業医面談前のアドバイス”がありました。
勿論、何も参考にはしませんでしたが、この時も「ホントは休みたい」と伝えることに抵抗を感じ、空返事をしてしまったことを覚えています。
今思うと、完全なコミュニケーション不足だったと反省します。
このやりとりが、だけでなく、“ここに至るまでの経緯全てが”です。
上司としては、‘休まれては自分(上司自身)が困るから’というのは大きいかったとは思います。
しかしそれだけではなく、本心から私に対して
「彼は仕事人間だから、できれば今のまま仕事を続けさせてあげたい」
と思っていたんだと思います。
それまでの私の働きぶり、徹底したイエスマンでサービス残業もすすんで行う社畜っぷりから、上司がそう思うのも、仕方ないことだったと思います。
何よりも、上司自身が、自他共に認める仕事人間でしたので、その価値観からすると「休職するなんて、絶対にあり得ない」ことだったと思います。
上司に嫌われることを怖がりすぎて、私自身が弱音を吐けなかったことを反省しました。
「もう一杯一杯で仕事辛いんです」「無理です」と言えばよかったんですが、自分のプライドや“周囲から期待されている”という思い込みの自意識、上司への過度な恐れから、本音を言い出すことが出来ませんでした。
その結果、私のことを上司が誤解し、今、自分にとっては望ましくない展開になってしまったのです。
このことから、どんな時でも自分に嘘をついてまで周りに合わせる、周りからの期待に応えようとするのはよくない、ということを強く学びました。
これさえ徹底できていれば適応障害になる前に認知の歪みに気づき、自分を追い込みすぎずにやり過ごすことができたのではないかと思います。
「自分が予想する“周囲の期待・反応”はほとんどの場合外れる」と今は考えることができます。
一度あまり良くない考えが浮かんでも、「はい、それが最悪のパターンだとして、じゃあ最高のパターンと、まぁ現実路線のパターンはどんな感じかな」と自分に言い聞かせ、適応的な思考を心がけています。
会社からの反応は、残念ながら予想を下回る残念な感じになってしまいましたが、自ら巻いた種なので自ら刈り取るしかない、ということで、産業医面談では、主治医との会話をそのまま再現し、自らの意見として「仕事の都合的に今のままでは難しいらしいが、休職が必要だと考えている。」と伝えました。
幸いなことに、産業医はすぐに理解してくれ、産業医の意見として会社側に取るべき対処をするよう伝えてくれました。
その後、上司を間に挟むことなく、人事担当者と直接のやりとりとなり、その一週間後から無事休職に入ることができました。
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