自身の適応障害の経験をもとに、その時の考えや感情を、記憶が曖昧になる前に書き記すことを目的に、「体験記」としてブログに書くことにしました。
過去の体験記はこちらから
【適応障害体験記①】〜症状前〜 https://higurijohn.com/taikenki1
【適応障害体験記②】〜発症〜 https://higurijohn.com/taikenki2/
第5章 オーバーフローパニック
2020年の年越しは、例年通り紅白を見ていました。
正月くらいゆっくりしようと思って、1月1日は仕事から離れて、寝正月を過ごしました。
2日になると仕事がまた気になり、ゆっくりできませんでした。
「会社が休みのうちに、サービス労働をしてでも挽回しなければ!」という焦りから、
家族と家でダラダラしながら仕事をすることにしたのです。
ところが、パソコンを開いてもなかなか手が進みません。
「やらなければ」という思いはあるのに、なぜか頭がぼーっとして
何からどう進めればいいのかを考えられないような状態です。
コーヒーを飲んでもダメ。糖分をとってもダメ。気分転換に外に、と思っても外は寒いし雪だし・・・
かと言って、妻に連れられて外出しても
「こんなことしている暇があったら、あの資料を仕上げないと・・・」
と考えてしまい気分転換もできない。
そんな状態で、結局簡単な雑務を処理した程度で、頭を悩ませていた
新規事業の企画提案資料や、既存事業のプロジェクト報告用資料などを
ほとんど整理する事ができずに、正月休みが終わってしまいました。
「状況を改善するチャンスだった正月休みを活かすことができなかった・・・」
さらなる自分への失望感を感じながら、また昨年末の泥沼状態の日々に戻り、
相変わらずの2週間ほどを過ごした1月下旬
なんとか耐えていた状態が突然崩れることが起きます。
会社を3日間、休みました。
まずは1日目は、2人の娘達が朝、学校・幼稚園へ行くとすぐに嘔吐したと連絡が入り、
それぞれ早退して自宅療養に。ということでその看病で休みました。
コロナへの警戒態勢から、同居家族に風邪のような症状がある場合には出社停止ということで、休みがとりやすい環境でした。
その日の夜、今度は私が翌朝まで嘔吐と下痢を繰り返し、翌日はぐったり。
さらにその翌日も半分死んだような状態で仕事は休みに。
というわけで3日間の病欠をとることになりました。
それまで、「1日も穴を開けるわけにはいかない」と必死になり、
「なんとか処理し続けなければ」と首の皮一枚を残してなんとか回していた仕事に、
3日間も穴を開けてしまったのです。
よく自分のキャパシティーをバケツに例え、
ドンドン入ってくる水(=発生する仕事)を入ってくるより早いペースで
汲み出す(=仕事を処理する)ことで、溢れさせないようにする、
という表現をしますが、この時の私は、汲み出すことを3日間やめてしまった状態です。
完全に水は溢れ出しており、周囲はベチョベチョです。取り返しようがありません。
おまけに、年末から続く睡眠不足の体調不良で、汲み出すことも上手くできず、
溢れ返る水を止めることができる気がしません。
もう終わりだ。これは自分の力だけではどうにもできない。
無力感とはこう言う事か、と思ったことを強く覚えています。
第6章 心療内科受診を決意
自分ではどうにもできない、でも、どうしよう・・・
上司には以前から相談してはいましたが、「報連相をしっかり」と言うアドバイスを返される程度でした。
同じ境遇に近いような同僚もおらず、業務的にも一人で任されている部分が大半なので周囲にヘルプを頼むこともできません。
いよいよ、仕事に向かう事が辛くなっていました。
「こうなったら、このまま辞めるか、この前みたいに休むしかない。」
「家族の生活があるからすぐに辞めるわけにいかない。有休を使うか・・・」
「有休を取るにも、これだけ仕事がたんまりある状況で、有給を申請する勇気はないな・・・」
「入院すれば、強制的に手当てが出て仕事も休めるのでは?
・・・でも突然病気になる事はないか・・・怪我か?交通事故に会うしかないか・・・」
「家族がいるし・・・まだ死にたくないから、死なない程度に車の前に飛び込めばいいのか」
そんなことばかりを考えていると、出勤途中の国道を渡る横断歩道の前で、
「交通事故」「死なない程度」「車種」と調べて、
「この先の角で左折しようとスピードを緩めている最中の軽自動車に飛び込んでみたら楽になるな」と考えていることに気付きました。
今振り返ると、もっと他に色々やりようがあっただろう、と思いますが
当時の自分は既に適応障害症状によって、視野が狭くなり、認知の歪みがひどい状態でした。
「もう他にはどうする事できない」と考えてしまっていたのです。
もう少し周囲にオープンに、相談すればよかった。
早めにイエスマンをやめて、「できません」「無理です」「もう首が回りません」と言えばよかった。
仕事なんて程々にして、好きなことをして過ごす時間をもっとしっかりとればよかった。
今ならばそう思えますが、当時はそんなことはできませんでした。
ある時、自分自身のうつ病闘病経験をイラストを交えてSNSで公開している方を
妻から教えてもらいました。
その時の私にまさに刺さる情報で、その方のブログを読み漁り、関連するページを調べ、
「うつ病による休職」という選択肢が頭に浮かびました。
「メンタルを病むとなんだか周囲から差別的な扱いを受けそうだな」と思ったり、
「ストレス耐性が強いから今までやってこれた。まさか私がメンタルを病むなんてことはない」と思ったりし、すぐには決心がつきませんでした。
しかし、色々ネットの情報を見ていると、「気軽に専門医に相談してよかった」
「寝つきが悪いだけで心療内科に行く人もいる。薬で睡眠習慣を整えることは何も悪いことではない」というような記事を複数見つけ、「私もまずは睡眠障害をなんとかする必要があるから、睡眠薬をもらいに行こう」と思いました。
そしてその日の昼休みに、自宅から1番近い心療内科を予約し、初受診をしました。
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